越境する“響き”の音楽。言語のあわいを超えゆく青葉市子の現在地

世界の音楽シーンで注目されているシンガーソングライター、青葉市子。クラシックギターを手に静かに歌う彼女の声は、日本語であるにもかかわらず、なぜ言語の壁を軽々と超えて世界へと響きわたるのか。ワールドツアーから戻ってきたばかりの彼女に、これまでの道筋と音楽への思いについて訊いた。
青葉市子
Photograph: Kaori Nishida

クラシックギターの爪弾きが織りなす美しいメロディーと、透明感のある歌声──。シンガーソングライターの青葉市子の弾き語りが、世界中の人々を魅了している。

2010年にデビューした青葉市子は、20年に自身のレーベルを立ち上げたことで海外へも活動を拡大。25年には約4年ぶりの新作『Luminescent Creatures』を発表し、英国の『ガーディアン』や米国の音楽メディア「Pitchfolk」でも絶賛された。

その新作を評したPitchfolkのレビューには、こんな一文がある。

──日本語を知らなくても彼女の歌声は理解できる。彼女の音楽は、言葉では言い表せない感情の共鳴を、まるで身体的な記憶のように身近に感じさせる。

この評価の通りだとすれば、彼女が奏でる音と歌声を表現するうえで「言葉」は意味をなさないのかもしれない。だからこそ、国境と言語の壁を超えて静かに広がっているのだろう。

今年すでに半分以上の期間を海外ツアーを中心に過ごした青葉市子は、年内にはワールドツアーの後半を控えている。2026年には、歴史ある演劇場であるロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの公演も決定した。

そんな彼女は、いかにして言語の壁を軽々と飛び越え、世界中の人々に愛されるようになったのだろうか。日本国内でのツアーで多忙な合間を縫ってインタビューに応じてくれた彼女は、静かに、丁寧に言葉を選びながら、これまでの道筋と音楽への思いについて語ってくれた。

青葉市子

青葉市子|ICHIKO AOBA
1990年生まれ。音楽家。自主レーベルhermineの代表。2010年のデビュー以来、8枚のオリジナルアルバムをリリース。クラシックギターを中心とした繊細なサウンドと、夢幻的な歌声、詩的な世界観で国内外から高い評価を受けている。21年から本格的に海外公演を開始し、数々の国際音楽フェスティバルにも出演。25年1月にデビュー15周年を迎え、約4年ぶりとなる新作『Luminescent Creatures』を2月にリリース。アジア、欧州、北米、南米、オセアニアの五大陸で50公演以上にわたるキャリア最大規模となるワールドツアーを開催。25年5月には初のエッセイ『星沙たち、』を出版。FM京都「FLAG RADIO」では奇数月水曜にDJを務めるほか、テレビのナレーション、CM・映画音楽制作、芸術祭でのパフォーマンスなど多方面で活動している。


Photograph: Kaori Nishida

できるだけ遠くの、深いところまで

──この2025年は、これまでのキャリアで最大規模のツアーで世界各国を周っています。とても忙しい日々を過ごしてこられたと思いますが、振り返ってみていかがでしょうか。

約4カ月ほど世界各地を周っていたので、気温差や時差があったりなど、さまざまな環境のなかで暮らしていました。落ち着かない日々を過ごしていたのですが、一つひとつがとても濃い思い出です。その国や地域ごとにメンバーが違っていたのですが、ヨーロッパやアメリカなどでさまざまなツアーメンバーと出会い、サポートアクトもそれぞれの場所で違っていたので、あちこちに家族ができたような気持ちです。いまはようやく日本に帰ってきて、自分の家でちゃんとコーヒーをいれたりする日々のルーティンのようなものが戻ってきて、少しほっとしています。

──ここ数年は海外公演が増えており、いまや世界を舞台に活躍されています。本格的に海外で活動されるようになったのは、いつごろだったのでしょうか。また、海外での活動を意識するようになった背景には、どのような理由があったのでしょうか。

これまで10年以上前から、海外では何度か点々と公演をしながらも、何か特別に海外での活動を計画していたわけではなかったんです。本当に偶然が重なったといったところでしょうか。

コロナ禍の直前のことですが、ポーランドのワルシャワで開催されるフェスティバルの主催者からお声がけいただいていたことがあったんです。ところがパンデミックが本格化して、計画にあったライブが次々にキャンセルされていくなかで、そのフェスだけはキャンセルされなかった。現地に行くか悩んだのですが、いざ「やろう」と決めたとき、せっかくヨーロッパに行くなら周りの国々にも行ってみようか……という話になって。その話を聞いたワルシャワのフェスの主催者が、「じゃあ、わたしがツアーマネージャーをやる」と名乗り出てくださったんです。

その方はポーランド人なのですが、日本文学と寺山修司が大好きな方でした(笑)。そこから驚いている間もなく、ものすごい数のライブが一気に決まっていき、大荷物をツアーマネージャーと写真家と3人で持って行って、ヨーロッパの鉄道の「青春18きっぷ」みたいなチケットを買って各地のライブ会場に向かいました。振り返れば、その方がいなければできなかったことですし、それが大きな転機になってるのかもしれません。

──そこから世界ツアーに発展していき、英国の「グラストンベリー・フェスティバル」や米国の非営利ラジオ局であるKEXPへの出演にもつながったわけですね。海外で活動を続けてきたなかで、何か印象深い出来事はありましたか。

印象的だったのはメキシコです。もともとメキシコには「マリアッチ」と呼ばれる伝統的な民俗音楽があるのですが、悲しみでも何であれ、感情が高まったときには歌や音楽に変換されていくことが文化的に根付いている土地という印象がありました。

実際にメキシコの人たちは「気持ちを表す」ことに長けていて、現場での歓声もとても大きかったんです。演奏が終わった少しの合間にMCをしようと思っていたら、突然「イチコ!イチコ!」とコールが起きて。そのあとも、大合唱でわたしを迎え入れてくれました。

わたしはそれが何と言っているのかわからなかったのですが、公演後に現地の友人に尋ねたところ、「イチコ、あなたをメキシコ人として歓迎します」って言っていたのだと教えてくれました。とても印象的でうれしかったですね。ウェルカムの姿勢をわかりやすく示してくれたのですから。

青葉市子

いまや青葉市子の歌声は言語の壁を軽々と飛び越え、世界中の人々に愛されている。海外での活動が本格化したのは「本当に偶然が重なった」のだと、彼女は説明する。

Photograph: Kaori Nishida

──青葉さんの音楽は言語の壁を超えて世界中に届いているわけですね。2026年にはロンドンの世界的に有名なロイヤル・アルバート・ホールでのライブも決まっています。

響きがとてもいい会場だと聞いてます。同じロンドンのバービカン・センターでの公演は、今回のツアーで唯一のフル編成での公演だったのですが、とても特別な時間になりました。(指揮者のいない英国の弦楽オーケストラである)「12 Ensemble」と一緒に演奏したのですが、ストリングス以外にもハープやパーカッション、フルート、ピアノ、ギター、チェロなどさまざまな楽器が入っていました。

実は彼らとは3年前にも一度、同じロンドンのもう少し小さな箱で共演したことがあったんです。今回はさらに大きな会場でメンバーも増やして共演できましたし、互いにそれぞれの時間を過ごしながら音楽性などを熟成させることもできた。しかも、それをたくさんの方たちに観ていただけたことに、すごく達成感がありました。まるで次の“切符”をみんなで手にしたかのようでした。来年のロイヤル・アルバート・ホールでの公演も12 Ensembleとライブをするので、素晴らしいショーになるのではないかと思っています。

──青葉さんの音楽は弾き語りが主体で、日本語の歌であるがゆえに言葉が音楽性の中核を担っているようにも感じられます。しかし、実際は言語の壁を超えて世界中に届いている。海外のさまざまな方たちに受け入れられている事実について、率直にどのように感じておられますか。

とてもうれしいですね。わたしだけに限らず、いまでは多くのミュージシャンの声が国境や人種を超えて共有され始めています。わたしはその事実が、とてもいいことだと思っているんです。これからもどんどん広がっていったらいいなと思っているし、自分たちがやっていることは“トンネル掘り”みたいなことだと思っているんです。

──トンネル掘りとは、どういう意味でしょうか?

つまり、道を開いていこうとしている。先駆者として活躍されてきた方たちが掘ってくれた穴があってのことですが、わたしもそこで掘り続けて、きれいに耕したりしながら、ミュージシャンに限らず、他のアーティストや何かで表現したい人たちが、できるだけ遠くまで深いところまで掘っていけるような道をつくろうと思ってやっています。

──“穴”を掘りやすくなった背景には、ストリーミングサービスやSNSなどを通じてグローバルに音楽が届きやすい時代になったこともあるのでしょうか。

わたしの実感としては、コロナの時代とストリーミングサービス、プラットフォームがしっかりしてきたタイミングが、ちょうど重なったのだと感じていています。偶然にもちょうどわたしもその時期にたくさんの方々に知っていただけた気がしています。コロナ禍のピークが過ぎた時期にアメリカツアーを初めて計画したのですが、どうやってわたしの音楽に触れたのかを現地の人に聞いたら、友達がプレイリストで流していたり、学校の放送で流れていたりといった話がありました。

──学校の放送で流れているとは、どういうことなのでしょうか。

おそらく、放送部の子とかが学校で好きな曲を流していて、そこから流れてきて知ったのだと思います。だからなのか、ライブにはクラスのみんなと来たという男の子たちがいて、片手にスケボーを持って、もう片手にアナログレコードを持って来てくださったり。

ですから、音楽だけが好きな層だったら出会えないような、きっとわたしの音楽に出会うまで時間がかかったはずの子たちと急にこうして会えるようになったのは、やっぱりこの時代にプラットフォームが育ったという背景がとても大きく影響していると思います。

── 熱心な音楽ファンというよりは、純粋に音楽も好きだけど、スケボーも好きな子たちも聴きにきてくれるようになったというわけですね。

はい。でも本当にすごいと思ったのは、そこで知った子たちが実際にライブに足を運んでるっていう事実ですね。それまではコロナ禍で外に出られなかったり、学校にも行けなかったりした子たちが多かったはずなんです。それがようやく外に出られたときに、仲良しな友達たちと出会った音楽を一緒に聴きに行こうって思ってくれたこと、そして外に出るきっかけになってくれたことが、何よりもうれしい。この子たちは、わたしだけでなくいろんなミュージシャンのライブにこれから出かけていくんだろうと思うと、胸がいっぱいになります。

お客さんが3世代で来てくれたこともありました。ライブは会場によってスタートする時間が遅いので、16歳以下は親の同伴が求められる場合もあるんです。だから、14歳の子がお母さんとおばあちゃんと一緒に来てくれて、サインするときには「お母さんとおばあちゃんです!」って紹介してくれたりして、とても感動的な光景でしたね。

──そのような光景は、海外で活動を続けてきたからこそ生まれるのでしょうね。言語や国境の壁を超えて音楽が届いているわけですが、何がリスナーに響いていると思いますか。

母国語ではない音楽を聴く際には、歌詞は“後から”やってくると思うんです。それがとてもいいなと思っていて。だから、日本でライブをするときよりも、海外で演奏をしたときのほうが、“深いところ”に早く一緒に潜っていけるように感じます。

それはもしかしたら、言葉に対する責任みたいなものが軽くなっているからかもしれない。歌っていることや気持ちは変わらないんですけれど、同じようにライブをしていても、受け取る方々のベースにある言語が日本語じゃないことで、言葉では説明しきれない部分を先に感じてくださるんじゃないかと思います。

──聴くよりも、感じるほうが先に来ているというわけですね。

そうですね。言葉による説明ではなく、音楽の背景にあるもの。最初から音楽がもっている世界観だったり、景色みたいなものを通して、つながり合える。歌詞はもちろん大事なのですが、それだけがすべてじゃないんです。

曲をつくるときも、演奏をするときも、言語の壁であったり、知らず知らずうちに感じているボーダーを取り払うこと──。それが、音楽を求めている人たちと結びつき合えるということじゃないかと思っています。

青葉市子

「最初から音楽がもっている世界観だったり、景色みたいなものを通して、つながり合える。歌詞はもちろん大事なのですが、それだけがすべてじゃないんです」と、彼女は語る。

Photograph: Kaori Nishida

気持ちや出来事がメロディになる

──今年リリースしたアルバム『Luminescent Creatures』は、Pitchfolkガーディアンなど海外の主要メディアでも話題になりました。前作の最後の曲名がアルバムタイトルになっていますが、これは翻訳すると「発光する生き物たち」です。前作『アダンの風』と重なる部分がある気もしているのですが、どのような気持ちでこの作品をつくられたのでしょうか。

もともとは続きの話を書いたというわけではないんですが、確かにこの2作は響き合っていると思います。『アダンの風』のときは「架空の映画のサウンドトラック」という物語を提示して、それに沿って聴いていただくようなかたちでした。その後、『Luminescent Creatures』を発表するまでにツアーを繰り返し、いろいろな人たちを見ていくなかで、一人ひとりの生命の輝きみたいなものに対してもう少しフォーカスした作品をつくれたらいいなと思ったんです。

つまり、「誰もが物語の主人公になることができる」もしくは「なっている」ことを思い出せるような、確かめられるような作品です。そう思ったとき、こちらが物語をつくるのではなく、1曲、1曲を独立させた「図鑑」のような構成にしたいと思いました。例えば、「こういう生き物がいました」「こっちにはこういう生き物がいます」といったイメージです。

そして、そのつながりを、聴いてくださった方たちそれぞれが自分で紡いでいけるような設計にしたかった。ですから、曲の性格が異なるバラバラな子たちが収録されています。壮大な編成の曲もあれば、たったひとりで弾き語りしてるものもあったり。

家でつくったデモ音源がそのまま入ってる曲もあります。あらゆる場所の、あらゆる状態の子たちが揃って一緒にいられる世界を提示してみたくて、録音のあり方にもこだわりました。

──今作の音楽性は、前作と比べてさらに響き豊かな作品に仕上がっている印象も受けました。前作から4年の間に、ご自身のなかでどのような変化があったのでしょうか。

ちょっと質問の答えと違うかもしれないのですが、今作では“排除”したくなかったんです。誰も、何もかも。誰かが、誰かを排除するようなことが本当に無くなったらいいなという願いがあったんです。

そして自然界を見渡して、目を凝らして、ありとあらゆる生命体に光を当てたかった。菌類とか、人類ではないものまで含めてです。曲をつくった時期はそれぞれ異なりますし、実は『アダンの風』が出来上がった当初から完成していた曲もあったりします。

例えば「pirsomnia」は、『アダンの風』のマスタリング直前まで入れるかどうか迷って、最後の最後に「この子はまだいまじゃない気がする」と思って大切に残しておいた曲です。かと思えば、マスタリングの数日前に完成した曲が今回のアルバムに入っていたりもします。

ですから、しっかりしたテーマがあっての作品ではなく、生まれてきた生命の光のようなものを「おいで、おいで」と、この(アルバムジャケットの)海のなかで遊んでるようなイメージでつくり上げていきました。一粒一粒が発光生物のように生きていて、意思があって。

青葉市子

青葉市子の最新アルバム『Luminescent Creatures』。生まれてきた生命の光のようなものを、海のなかで遊んでるようなイメージでつくり上げていったのだという。

Photograph: Kaori Nishida

──だからこそ、このようなジャケットに仕上がったのですね。前作『アダンの風』から今作もそうですが、作曲家の梅林太郎さんとの曲のつくり方、組み立て方が独特な手法で驚かされました。まずはプロットを組み立てるところから始まるとのことですが、文字から音を想像していくようなプロセスをイメージします。具体的にどのような作業なのでしょうか。

梅林さんとは、自分たちが日々を生きていて気になることや、感じとったもの、かすかな動きだったり、自分たちの周りで起きたものごとのストックといったことについて、ときどき電話やメッセージで交換するんです。それは音楽の話だけでなく、同じ世界を生きていて、共通する気持ちや出来事を照らし合わせていくような作業ですね。

例えば人々がいま、ある問題を抱えているということは、「音にするとこういうこと?」と、コードなりメロディなりで表現してみたり。わたしは詞先[編註:楽曲制作において作曲より先に作詞を進める手法]で詩を書きためているので、それを梅林さんに送ったり。「これ次のアルバムのここに入るんじゃないかなと思ってるんです」と言うと、「うーん、ちょっと待っててね」と、その詩に対してメロディの案が返ってくる──といった過程です。

3小節だけのデモのときもあったりするのですが、今度はそれを受け取ってわたしがギターで続きをつくったり。そのような往復書簡のようなことを、ずっと続けてきました。それが前作から今作に至る4年の間に、日々おこなわれていたことです。作品は、その結晶と言えるかもしれません。

音楽を切り離さない

──前作のリリースは2020年で、この年には自身のレーベルを立ち上げています。その時期から海外での活動もますます本格化された印象がありますが、なぜ独立を選んだのでしょうか。実際に自主レーベルで活動されるようになって、いかがでしょうか。

レコード会社では、ありがたいことにたくさん宣伝していただいたり、いい面もたくさんありました。でも、新しい作品ばかりに価値が置かれるその環境で、どうしても“循環”されていく気がしたんですね。そもそも音楽はリリースしたときだけが“いいもの”ではないですし、作品を長期的に広く届けることが本来のレーベルのあり方だと思うんです。

ですから、自分は味噌のように熟成させる音楽をやってるんだな──と思ったときに、自分の手で扱ったほうがいいと思ったんです。自分たちのことをいちばん支えてくれているのはファンの皆さんなのですから、そのほうが距離も近いですし、作品をつくったときに自分の手で手渡しできる関係でありたい。

それは多分、わたしの父や祖父が職人であることも影響しているのかもしれません。職人たちの仕事には、こだわりがあるし、代弁する人がいないんですよね。自分でつくったものを自分でそのお客さまに「どうぞ」と言うまでが仕事なんです。

その人が使ったときにどうなるかっていうことを想像したり、壊れちゃったりとか、そうなったら修復したりと、すべてが物語のように続いていく。それができるのは、自分自身でレーベルをつくることなんじゃないか、という思いがありました。とてもいい選択だったと思っています。

──自分のレーベルであるがゆえに、動きやすさもありますか。

そうですね。例えばストリングスでの音源を出したいとか、ライブ音源を出したいとなったときに、自由にそれをリリースすることができないレーベル契約もあるんです。“持ち物”は基本的にレーベルのものなので、許可がないとできなかったり、再録禁止などの決まりごとなどがあったりもして。

ですから、わたしのスタイルだとそれに合わないなと思ったんです。自分のレーベルから音源を出すぶんには、契約などは必要ないので。

──ライブ音源が増えたことには、そのような背景があったのですね。

はい。もう自由になったので、(音楽コミュニティサイトの)Bandcampにはたくさん出してます(笑)。でも、そのほうが絶対いいなと思ってました。

青葉市子

2020年に独立して自身のレーベルを立ち上げた青葉市子。「自分は味噌のように熟成させる音楽をやってるんだな──と思ったときに、自分の手で扱ったほうがいいと思ったんです」と、その背景を語る。

Photograph: Kaori Nishida

──少しずつ自由をまとうようになった青葉さんにとって、「音楽」とはどのようなものなのでしょうか。

例えば、お腹がすいたらご飯を食べるじゃないですか。眠くなれば寝るし、泣いたり喜んだりもする。そうした生きているうえでの現象であったり、さまざまな感情が高まったりしたその先に、わたしには音楽という出口があるんです。そして、そのためにわたしはつくられている──という感覚があります。

なので逆に言えば、音楽をつくろうと思って動いてしまうと、“偽物”が出てくる気がしていて。日々を健やかに、そしてネガティブなものまで嘘としないで、しっかり出会うこと、見つめることで、そのときは苦しいかもしれないけど、その気持ちと仲良くなっていくこと──。そうすることで、その先で見つけた結晶みたいなものがコロンと落ちていて、それを拾い上げるとメロディーがある。そういうことをずっと続けてきているので、生活の延長線上に音楽が現象としてある気がしています。

──そうして音楽を紡ぎ続けていくことで、これからの10年、20年先の自分にどんな期待をされていますか。

未来のことよりは、今日この後のことや、もう少し近い日々のことを想像することのほうが、わたしにとっては大事です。明日もみんなが元気に生きていてほしいし、ひとりでも今日生きててよかったと思って眠りにつく人がいたらいいなと思います。そういうふうに思える今日が繰り返されている10年後、20年後だったらいいなと思います。未来のわたしが恥じないような生き方をすればいいなと思っているんです。

──いまが大事だと。

そうですね。会いたいと思った人には、いま会いに行かなければならないと思います。わたしは祖父母とよくそんな話を一緒にするんですけど、だからお互いに「今日がいちばん幸せなのよね」とか言ったりして。

──ちゃんと言葉にして伝えているのですね。

はい。祖父母も今日が最後の日みたいな感じで話してくれるんですよね。わたしもそのつもりで話してますし。そういうことなんじゃないかな。それはわたしたちもそうですけど、明日さよならしてもいいように。そういうことを毎日ちゃんと、当たり前に生きているけれど、続けていけたらいいなと思います。

──今年発売されたエッセイ『星沙たち、』でも、そのような「死」もしくは「夢」に関する話が印象的でした。青葉さんの音楽を守り、方向づけたりと、多くのインスピレーションをもたらしているのは、音楽以外のものごとが多いのでしょうか。

わたしの場合は、音楽をつくろうと思ってつくれるわけじゃなかったりするので、自分のなかでは予期せぬことや想像していなかった日々のなかから音楽が紡がれていく感覚があります。なかでも夢は本当に音楽に直結してると思っています。ほかにも、衝動や突発的なことがきっかけになるものもあれば、どこにも行き場のない孤独な気持ちが音楽になることもあります。

わたしにとって音楽というのは、音が鳴っているものが音楽ではなくて、生活の延長線上にあるものなので、すべてのことが音楽に結びつくわけですよね。音楽を切り離していないんです。例えば、こうして取材を受けてる間に視界の右側で光が点滅してるな……とか、そういったことが、この取材の帰り道にメロディーになる場合もあるんです。だから、夢も死も、人や生き物の生き死にも、自分がやがて亡くなることも含めて、すべてを音楽にあげると言ったら大袈裟かもしれませんが、音楽に供給するためにわたしは生きているので。

──ある意味、すべてを音楽に捧げていると言えるのかもしれません。青葉さんにとって、何が原動力になっているのでしょうか。

作曲を始めたころからずっと変わらないのですが、わたしの音楽の出発点には、どこにも行きようがない気持ちをすくい取って、それを手のひらに載せて、包み込めたらいいなという「願い」みたいなものが音楽になっていったと思うんですね。その感触や感覚っていうのは、いまでもまったく変わっていなくて。

原動力はもちろん、聴いてくださる方がいることですが、音楽をつくるときに人に聴いてもらうことを意識して曲を書くことはありませんでした。それでも、わたしはそれがいい方法なのだと思っています。時間はかかるかもしれませんが、自分に正直であり続けることが、やがて人と深くつながる鍵になるはずだと信じているからです。

青葉市子

青葉市子の歌声は、これからも世界中の人々に届いていく。この9月からは日本国内ツアー「Luminescent Creatures Japan Tour」で多忙な日々が続くことになる。

Photograph: Kaori Nishida

(Edited by Daisuke Takimoto)

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