歌舞伎の歴史をさかのぼると、1603(慶長8)年に出雲(いずも)の阿国(おくに)が始めた「かぶき踊り」が起源といわれている。以後、400年以上に渡って伝統を受け継ぎ、時には流行を取り入れながら、”生きた演劇”として進化し続けている。歌舞伎の「歌」は音楽、「舞」は舞踊、「伎」は役者や役者の演技を指し、この三要素が織りなす総合舞台芸術は、令和の今も人々を魅了し続けている。
歌舞伎の世界や芸に身を捧げた俳優たちの半生を描いた映画「国宝」は、6月の公開から熱が冷めやらず、興行収入150億円を突破した。それに伴い、歌舞伎にも注目が集まっている。歌舞伎俳優が立つ舞台の裏側では、大勢の“裏方”の存在がある。彼らもまた伝統を受け継ぎ、技術を磨き続けて今に至っている。そこに宿る美や匠の技にスポットを当てていきたい。
歌舞伎は“動く錦絵”とも呼ばれているが、とりわけ衣裳が果たす役割は大きい。歌舞伎の衣裳は主に松竹衣裳株式会社が担い、「公演前の準備」「公演中の着付け及び手入れ」「公演後の保管」という三つの大きな役割がある。
「きちんと数えたことはないのですが、倉庫には100以上の演目、枚数でいうと10000点以上はあるはずです。演目が決まると衣裳リストにあたる『附帳(つけちょう)』を開いてどの衣裳が必要かを確認し、倉庫から取りよせます」
そう教えてくれたのは、松竹衣裳株式会社演劇部次長の神谷雅子さん。同社は歌舞伎座をはじめとした松竹の興行のほか、舞台衣裳全般、歌舞伎の自主公演、日本舞踊、映画などの衣裳貸出にも対応しており、貸出に重複がないように調整しつつ、衣裳が傷んでいないかをチェック。寸法や仕立て直しなどを行った上で、期日までに必要な衣裳を揃えて届ける必要がある。神谷さんは映画「国宝」の衣裳貸出も担当した。
「李相日(リ・サンイル)監督が撮影の1年以上前に会社に来られて、打ち合わせをしました。撮影は京都や地方で行われることが多く、歌舞伎の公演と重ならないように調整し、衣裳と着付けなどを担当するスタッフを送る手配をしました。歌舞伎で使っているものと同じ衣裳ですが、道成寺の帯には、劇中の花井家の縫い紋を用意しました」(神谷さん)
演目決定から約2カ月で、すべての衣裳を準備
歌舞伎の演目が発表されるのは、公演の約2カ月前。演目を把握したら速やかに衣裳を取り寄せて状態を確認し、作業を進める。その合間にスチール撮影もあり、その衣裳は早めに準備しなくてはならない。
10月1日から上演中の「錦秋十月大歌舞伎」(歌舞伎座)では、三部制で歌舞伎三大名作の一つである「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」が上演されるが、Aプロ、Bプロのダブルキャストで行われるため、それぞれの衣裳を準備することになる。衣裳にも「型」があり、同じ演目でも、家によって異なる場合があるため、それも「附帳」で確認しながら間違えないようにする。倉庫から取り出した衣裳が傷んでいる場合はお直しや、場合によっては新調。俳優に合わせて寸法も調整しなくてはならない。
「社内で歌舞伎の衣裳を担当するのは約30人。日本演劇衣裳さんというグループ会社のスタッフ約10人を合わせて、約40人で作業を進めます。新作歌舞伎や、衣裳を新調する時はもっと前から準備することになります」(神谷さん)
今回、特別に「錦秋十月大歌舞伎」で上演の「義経千本桜 川連法眼館(かわつらほうげんやかた)」の狐忠信(きつねただのぶ)の衣裳「毛縫(けぬい)」を見せてもらった。狐の化身をあらわす衣裳で、白い羽二重の着物に、白絹糸がフリンジのように等間隔で縫い付けられている。衣裳を身につけた俳優が動くと、この糸がふさふさと揺れる。「錦秋十月大歌舞伎」では、市川團子(いちかわ・だんこ、Aプロ)と尾上右近(おのえ・うこん、Bプロ)が身につけるものだ。
「これは職人さんが絹糸を手で撚(よ)るところからやっています。試行錯誤をして、分量や縫い付ける間隔が今のものになりました。毛縫は帯にも縫い付けられていて、これを片花結びにすると、狐の尻尾のように見えます」(神谷さん)

以前、團子の祖父・二代目市川猿翁(えんおう)が「絹糸を増やしてほしい」とリクエストして試作したが、あまりにも重すぎて動きづらかったため、お蔵入りしたものがある。今回、團子はそれを身に着けて稽古に励んだという。
「毛縫」は白くてふさふさしている上に、舞台上での動きが激しいため、一度舞台で使っただけでもかなりの汚れがついてしまうという。
「『毛縫』に限らず、衣裳は1回使用しただけでも、汗やおしろいなどで汚れになります。公演中の手入れは、汗は霧吹きでぼかして乾かし、汚れはベンジンで拭き取ります。公演が終わればドライクリーニングや、洗い張りなどをしてきれいな状態に戻した上で倉庫に戻します」(神谷さん)

舞台で衣裳が美しく見えることが一番の喜び
同社には仕立てや直しを行う制作縫製課があり、和裁の技術を持つ約30人のスタッフが手作業を行っている。20〜50代の女性が大半だが、今年4月に男性新入社員が配属された。歌舞伎の衣裳は刺繡(ししゅう)などの装飾が多く、裾わた(綿を詰め込んだ裾のこと。裾の形状を保ち、衣裳が地に沿って美しく引きずる効果を出す)もあることから、かなり重い。裾にわたを詰める作業も重労働だ。そこで、手が大きくて力があるスタッフがいると心強いという。

近年、生地を作る織物屋や刺繡職人などが減少傾向にあり、衣裳の材料確保が困難になっている。また、染料も環境基準などの規制強化によって、かつては使えたものが使えなくなり、思った色が出せないこともある。そんな中でも、ベストを目指し、期日までに衣裳を揃えるのが腕の見せどころとなっている。
「歌舞伎の衣裳は古くても40年くらい前のもので、あくまで消耗品。材料や職人の確保が難しくなっていますし、予算に限りがあるので、作り直したい衣裳はいっぱいあっても、全部作れるわけではありません。また、身につける役者さんファーストで、その人の好みを取り入れつつ、いかに形にしていくかも大切。衣裳の評判がよかったり、俳優さんに満足していただいたりすることもやりがいですが、舞台で衣裳が美しく見えることが一番の喜びです」(神谷さん)

衣裳の力を借りてお役になれていることを実感
一方、衣裳を身につける俳優はどのような気持ちでいるのだろうか。「義経千本桜」で源九郎狐を演じる尾上右近に話を聞いた。
「歌舞伎は衣裳や小道具などをすべて身につけると重くなりがちなので、源九郎狐の『毛縫』は、衣裳の中では重くない方。でも、若い頃は、浴衣などでお稽古をしていた時と違って、衣裳を着ると動きが制約され、自分が取りたい型ができなくなり、体力的にもきつい。気持ちも体力もダメージを受けていました。その繰り返しで自分を慣らしていく、という感じです」
「義経千本桜 川連法眼館」では、はじめは源義経の家臣・佐藤忠信として姿を見せ、途中で、実は狐であることが露見する。
「忠信の時は、動きは少ないものの、本物の忠信であることを表現するため、集中力が求められます。その後、お化粧と衣裳を素早く着替えて、縁の下で身をかがめて潜みます。張り詰めたような緊張感があり、その状態からパッと舞台に姿を現して動き回るのですが、あの衣裳はどんどん汗を吸って重くなっていきます。だからこそ、自分の中にある情熱や感情をしっかり込めて、お客さんに捧げるような気持ちがないとだめだということに気づきました」

ただでさえ衣裳が重くて身動きが取りづらく、次第に汗で重みを増していく。舞台に立つという重圧も加わる。そのすべての重みをはねのけるために必要なのは、演じる側の「気迫」だと右近は考えている。
「役者は強い意志を持って、自分に迫力や気迫を乗せてはねのけて舞台に立つ。衣裳の重さにも意味があると感じています」
今年4月、右近は歌舞伎座で「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」の小姓弥生、獅子の精を勤めた。3歳の時に観た、憧れのお役だった。しかも、弥生役の衣裳を新調する機会にも恵まれた。松竹衣裳の担当者と柄や色などについて相談し、一から作る経験はそうできることではないという。六代目菊五郎が着ていた衣裳の写真は白黒で実際の色がわからず、模様も少なめだったという。新調する前の衣裳は淡いピンク色だったが、右近は濃い藤色を選択。着物の模様は大きくて華やかなものにして、帯も金地に蝶が舞う鮮やかなものにした。

「この演目は江戸城の大奥が舞台ですが、初演は明治時代なので、モダンでハイカラな部分を取り入れました。実際の大奥はもっと質素倹約だったかもしれないけど、この派手やかな衣裳の力を借りて踊りたかったですし、舞台上でも華やかさが視覚的に伝わるようにしたいと思いました。また、歌舞伎は私物化するものではなく、受け継いでいくものなので、僕の『春興鏡獅子』を観た後輩や別の俳優さんが、この衣裳を着て踊ってみたいと思えるものを作りたい、という気持ちもありました」
歌舞伎俳優の多くは幼少期から研鑽(けんさん)を積み、歌舞伎の型を身につけていく。たとえ稽古時の浴衣姿であっても、骨の髄から役になり切るくらいの気持ちで精進を重ねている。
「浴衣でもそのお役になれる状態を目指してやっていますが、衣裳を着た時はいつも、その衣裳の力を借りてお役になれていることを実感します。役者はいろんな人たちの思いも乗せた上で海に漕ぎ出す船のようなもの。お客さんの拍手は、衣裳さん、大道具さんや小道具さん、照明さんなど、歌舞伎に関わる大勢の人たちに対してのものでもあり、僕が代わりに受けているという感覚はいつもあります。また、衣裳に関して言えば、一生懸命演じ切って、汚さず、ご迷惑をかけずにお返しするのが一番の礼儀。うっかり汚したり、破ってしまったりした時はめちゃくちゃ落ち込みます。うまく体を使えていればそんなことにならないはずで、自分を支えてくださる人たちのためにも、これからも納得のいく舞台を勤めていきたいと思っています」


















