〈住人プロフィール〉
47歳(女性・団体職員)
賃貸マンション・2DK・大江戸線 新江古田駅・中野区
入居1年・築年数52年・長女(14歳)、長男(9歳)との3人暮らし
昨年、子どもを連れて家を出た。新しい台所を得てちょうど1年になる。
これで正解だったのか。自分にも悪いところがあったのでは。……長く悶々(もんもん)としていたが、最近ようやくいい意味で「まあいいやという気持ちになれました。罪悪感にとらわれすぎていたんでしょうね」と、彼女は俯瞰(ふかん)する。
中野区に生まれ育ち、夫の仕事の関係で関西へ。彼女も現地で職を得て、働きながら長女の出産、育児を経験する。
「最寄りのコンビニまで30分というような奥まった地域で知り合いもおらず、孤独でした。執筆を伴う専門職の夫は24時間仕事優先で、ひとりで子育てしているようで毎日追い詰められギリギリでした。早く東京へ帰りたい、とそればかり思っていました」
夫の東京への転職を機に、彼女も異動がかない一家で戻った。
中野のマンションで、別のフロアに自分の両親が住んでいる。「きみの実家が近いほうが楽だろうから」と、夫もおおいに賛成した。
じつは、互いにずれ始めていた心がここからさらに開いていく。
夫が仕事部屋にこもったまま、出てこない。
「夕ご飯だよー」と呼んでも返事がないか、「わかった」と言ったまま出てこない。きりがいいところまでやりたいのだなと察し、彼だけ夕食時間が別になった。
夜中も仕事をするので、朝は起きてこない。
彼の夕飯にラップをして冷蔵庫に入れる。それが放置されたままの日もあった。
「私は食べることと作ることが大好きなので、食べないとわかっている人のためにラップをかけ、最後にはカラカラになったものを捨てるという作業がとてもつらかった」
朝夕、母子だけの食卓になった。
ごくたまに夫がそろうと、娘や息子に「きちんと食べなさい」と叱る。
「マナーや躾(しつけ)に厳しい。さらに効率重視で、だらだら食事するより早く食べて本を読んだほうがいいという考えでした。そのため夫がいると子どもたちが萎縮し、楽しい食卓ではなくなってしまうのです」
母子は、「どうせ3人なら両親と賑(にぎ)やかに」と、実家で食べることが増えていった。
しかし、夫は教育だけには強く干渉した。
自身は子どもの頃から成績優秀。「勉強は苦しんでやるもの。塾なしで自分も努力していい大学に進めた」という自負がある。
小学1年の長女に、勉強を泣くまで教える。
ますます子どもたちは、祖母宅に足が向く。
「家族のありかたを探り続け、何度も教育方針や躾について話し合いました。私は褒めて伸ばしたい。食卓は皆で楽しく囲みたい。でも彼は、“子どものためだ”と、平行線でした」
コロナ禍は陰謀論めいた動画を信じ、子どもたちにワクチン接種を認めない。
彼女にも休日の過ごし方や食事のバランスが悪い、子どもの友だちを選ぶべき、すべてにおいて意識が低いと指摘が続く。
「今振り返ると誰かが彼をモラハラだと認定し、私の代わりに関係を終わらせる判断を下してくれるのを、どこかで待っていたような気もします」
いつしか、心の奥底に、離婚という文字が点滅を始めていた。
けれども、なかなか決別という踏ん切りがつかない。
「かつてあんなに魅力的だったはずの人。お互いに相手を認め、評価し、大切にしていた相手が、自分を傷つける存在になったと認めることは、私の一生を賭けた判断が間違っていたことを認めることになる。大事にしていた過去の時間や思い出まで毀損(きそん)されてしまうように感じてしまって……」

決別の主体者とは
「あ、もうだめだ。離婚しよう」
決断したのは、去年の春だ。
長女の中学受験が合格に至らず、夫の圧力は増長。逃げこんだ祖母宅まで追いかけてきて、むりやり勉強させる日が続いていた。
ある晩、祖母と母の前で娘が泣き出した。
「こんなことされたらおばあちゃんちにも帰りたくなくなる」
弁護士を通じた協議は半年を要したが、彼女はブレることがなかった。
いざ自分で決断すると、友人、同僚、さまざまな人が背中を押した。
「別れようと思う、と友達に言うと、開口一番“いいんじゃない”“別れなよ”。職場の人に言ったら“新しい人生の門出ですね”とさらっと返ってくる。シングルマザーへのためらいも吹き飛びました。いかに自分が恵まれているか、あらためて実感しました」
地方のワンオペ時代、シルバー人材センターに家事代行やシッターを依頼すると、門前払いだった。土日は家族そろってのレジャーを良しとする雰囲気を感じ、母子でいるのが息苦しいこともあった。
東京では、土日にファミレスで子どもとふたりで食事している母親や、祖父母と子どもの組み合わせや、多様な家族が自然と目につく。
「東京はいい意味で、そこまで他人を気にしていないのかもしれませんね。離婚が成立し、自分で家を決めて、子どもと暮らしている今は、すっきり晴れ晴れとしています。就職や結婚って、相手から選ばれるというか、相手あっての自分の選択だけど、離婚って私の場合は100パーセント自分で選び取った。ひとりでやりきったという達成感があります」
マンションのエレベーターですれ違っても、住人は「何年生?」と子どもに聞くが、それ以上家族については踏み込まない。だからといって話さないわけではなく、野菜をお裾分けしてもらったり、果物を返したり。大家や住人のお年寄りとの会話は多い。
築52年の古い台所で、ふたりがすれ違えない細長いつくりだが、流し台の上のパイプ棚や、何にでも手の届くサイズ感を気に入っている。
小3の息子は料理好きで、よく一緒に台所に立つ。彼が母と遊びながら縫ったという刺し子の雑巾もあった。
『東京の台所』の取材を受けてもいいか娘に相談すると、「なに喋(しゃべ)ってもいいよ! 今の学校でいい友達がたくさんできた。受験の失敗がきっかけで人生がいい方に転がった人もいるってことをみんなに知ってもらえたら、私もうれしいし」
先日は息子とフィッシュ&レンコンチップスを作った。
「この子が将来、好きな人にたくさんご飯を作ってあげる、それをだれかがおいしいねと食べてくれるようになってくれたら、本当に最高だなと思います」
親子で大好物だという生活クラブのわらび餅をほおばりながら彼女は笑った。
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